体験と海の日

数分間どこかに寄りかからずにたっているだけで、お腹が圧迫されるような気持ち悪さに襲われる。運動不足の賜物なのかな…そんな少し立ってるだけでもそんな風になる過保護のカホコちゃん状態は本当に勘弁だわ。

 

仕事の方もまあまあキツイのに…体力つけないとやってらんないわ…本当に。でも、こんな暑い中外走る気分にもなれない、、ジム行こうにもお金がない。今から加入しても来年地方に赴任する可能性もある。とまあ、いろいろ理由をつけてジムとかエステの無料体験に鬼のように通おうかしら…

 

でも、無料体験とか特別体験とか実際そんなにない。特別体験なんて大体3000円くらい払うことになるし。結構高い。そして、体験の後に怒涛のように襲いかかる勧誘攻撃に耐えなくてはならない…Hoooooo...これがいっつもキツイんだよね。体験前に友達と示し合わせてどれだけ強力なお断りの理由を考えてもいざ言葉に出してみると、その空虚さたるや、、、あ〜絶対に嘘だってバレてるよ…なんてお店の人の反応を見ながら申し訳ない気持ちになる。あの時間を鋼の心でもってして乗り切れたら体験行くたびに感じる罪悪感も薄れるのだろうな…

 

にしても脱毛の体験とかあるけど、あの体験は行く意味あるのかな。一時的にどうしても毛を抜きたかったとして、一週間もすれば生えて来るわけでしょ。そんなにどうしても毛をそりたい一週間なんてある?私は特にない。と思って、脱毛の体験だけは行ったことがない。まあ、ジムもさ、続けないと意味がないから…本気で体験だけで体鍛えたいと思ったら一週間で鬼のように体験に行かないといけないわけよ。まあ、チェーン店の体験は三ヶ月もすれば大方終わるだろうな。個別のジムやエステってなると交通費の問題もあるし、もうなんのために体験行くのか分かんなくなる。絶対近所でやっすいジムに入った方が効果も出るし、費用も抑えられる。

 

体験って言って意味がないなって思うのは、あれよ。あの化粧品の体験キット。あれ一回分とかしか入ってないやん。大体。あれで何を体験しろと?本当にあれで効果分かると思ってる?化粧品店行って体験キットもらうたびに「ありがとうございます」って言いながら心の中ではそんなこと思ってるわ。

 

三回分くらい欲しい。欲を言うなら。そしたら三泊四日の旅行に持っていけるし。なんなら旅行の間化粧するときは常にその化粧品のことを考えてるからね。旅行という非日常空間の中で3分だろうが1分だろうが普段使ってないその化粧品に想いを馳せる。もう充分なPR。だから、どうか化粧品サンプルは最低でも3日分はほしい。

 

と思いながら今日も何食わぬ顔で電車に乗っている。海の日です。

It's Only the End of the World

最近日本国内でもどんどん人気が高まっているグサヴィエ・ドランの新作を鑑賞。最初の数十分。自分でもこんなに寝れんのかってくらい熟睡してしまった。フランス映画って映像も言葉も音楽もとって美しくて、そのゆったーりとした雰囲気に呑まれて睡魔に襲われることがよくある。という言い訳。

 

正直眠たくなるぐらいよくある家族の葛藤が描かれていて、あああ、みんな複雑だよね、いろんな想いがあるよね、とか思いながらヒステリックなお母さんとそれ以上に悲観的な兄貴の感情が全く意図できなかった。全く意味が理解できないフランス語がなんだか子守歌のように聞こえて気づいたら心地よい眠りの中にいたよ。

 

でも、映像であったりカメラワークがやっぱり美しいんだよね。だから、ふっと気が付いてスクリーンを見たときに、あっ、きれいだな。こんな切り取り方するんだな。素敵だな。ってなって、そっからは映画の中にどっぷり。まあ時間かかったけど。

 

そこから見ていくと、あんなにヒステリックで感情高ぶりすぎだった母親の慈悲深さや愛情が見えてくるし、弟のように自由に生きられない兄貴が、劣等感とか自己否定感を爆発させる瞬間になんだか共感のようなものを覚えてしまうし、見た目はどこからどうみても大人だろって思ってた妹が気が付いたら幼い「いもうと」として映るようになるし、ドランは人の奥にある感情や葛藤をなんて上手に引き出して、スクリーンを通じて私たちに提示するんだろうって改めて感動してしまった。

 

最期の場面は人によっていろいろな解釈があると思うのだけれど、家族全員ルイが何かよくない知らせを抱えてることを把握しているんじゃないかなと思った。それに対する、三者三様の対応の仕方も含めて、本当に人間の描き方が繊細かつ的確だなと。事実を受け入れたくない母と妹、受け入れたくない事実を怒りとして放出してしまう兄。でもその根底にあるのは、絶対に愛。この家族は周りからみたらいびつだし、何か闇を抱えているのではないかと思うのだけれど、でも絶対にお互いを大切に思っている。

 

お互いに愛しているし、その一方で相手からも愛されたい家族像をしっかりと描いていて、じんわりとした。そういう人間の愛したい、でも愛されたいっていうところを言葉で表すことなくああやって表現するの本当にすごい。

 

ちなみに、ここまで全然話題にだしてこなかったけれど、兄嫁の役が入ったことによって他人の眼が入ってよかった。兄嫁という立場は家族なんだろうけれど、あの家族が共有している本質的な葛藤の外にいる。ああいう外部の存在が入ることで、時には閉塞した雰囲気に素朴だけど核心に迫る問いをぶちこむことができていたから。

 

にしても、ドランの作品ってほぼほぼゲイに関係する登場人物や題材が出てくると思うんだけれど、やはりそれは彼のアイデンティティの証明にもなっているのかな。彼はそういうLGBTを扱うことで作品をより自分だけしか表現できないものにしようとしているのかな、それともやはり彼の経験に則ると、LGBTであるからこそ生じうる様々な問題を彼は作品を通してみせていきたいと思っているのかな。

 

とか思いながら、題名も含めてこの作品が好きになりました。

 

料理ができるかいなか

学生のころ、友達に趣味何と聞いて、料理と返ってくると、うわっ、モテるやつ来たよとか内心思っていた。趣味が料理なんてモテたくて言う以上の何者でもないだろうと思っていた。まあしょうがない。少女漫画も女性雑誌も料理ができる女はモテるという先入観を子どものころからしっかりと植え付けていくし、実際料理ができる女はモテる。

 

残りものでパパッと何かを作れちゃう女は中でもレベルが高い。彼女たちは、それができることによって、冷蔵庫の残り物を瞬時に分析、どのレシピが適用可能か判断する力を持っていると証明しているのだ。分析力と判断力の高さをここぞとばかりに見せつけつつも言葉では多くを語らないのがそういう女性だ。たいてい味で勝負とばかりににっこりとお皿の上に綺麗に盛り付けらた一品をそっと提供してくる。相手が同性だろうと異性だろうと関係ないのだ。相手が誰であったとしても残り物を使ってレベルが高い一品を提供できるという彼女たちの自身も、おおよそは、恐らくは、料理自体のクオリティも高いのだから。

 

そんな女性にあこがれて、料理教室に入会する女性は何人もいる。ただ、料理教室でせっかく学んだその知識も技術も、私生活で生かさないと錆びきってしまう。行っただけ満足する行ったっきり症候群に陥る友人を今までに何人か目にしてきた。そもそも家で料理をしない人たちが料理教室に行けば料理をできるようになるなんて考えるのは甘い。料理をできるようになる前に、彼女たちは料理をするようにならなくてはいけない。ピアノも水泳も、すべての習い事は日々の練習が大切。分かっているはずなのに、料理となるとそんな基本的なことが抜け落ちている人がなんて多いことか…

 

まあ、とにかく料理は多くの男性を惹きつけるし、多くの女性はその重要性を年齢と共に実感するようになる。かくいう私もそうだという話をしたかったし、本来ならここからが本題なのだけれどもう寝る。

How To Be Single

この前、How To Be Singleっていう映画を見た。

NYCを舞台にしている群像劇ってよくある設定だわ、

IMDbでそこまで評価高いわけでもないな、

まあ最低限おしゃれでわいわい楽しめそうだしどりあえず見てみるかって

正直結構期待値低めで見始めたんだけれど

これがなかなかよかったわ。

 

ネタバレも含めて感じたこと全部書く。

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思ったことをつらつらと

本当に思い付きでブログをはじめてみることにした。

ここしばらくワケあって日本語で文章を書くということをしておらず、

自分の文章力が著しく低下している気がしていたので、

不特定多数の人に向けての文章を書く練習をしていこうかなと思ったのがきっかけ。

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